16.フロッピーを持って裁判所へ行こう


Q・訴状はどうやって提出するのか?

A・裁判所の窓口で渡します。

って、これだけなんですけど、やっぱり転入届を出しに行くよりは緊張するものです。
経験のないことですからね。

まず最初の問題はどこの裁判所にするかということですが、これは契約書にたいてい「本契約に関する裁判は本件不動産の存在する地域を管轄する裁判所とする」なんて意味のことを偉そうに書いてあったりします。
ウソです。
こんなものに大した効力はありません(少しはある)。
本当は、転居した先のお近くの裁判所でいいのです。
敷金返還みたいに、債権を債務者から(この場合大家)取り返す裁判の場合は、債権を持っている債権者が住む地域の裁判所が管轄するのが民事訴訟法の大原則なのです。
考えてみれば当たり前で、当然払うべきものを払わない相手から手間隙かけて取り返そうとするわけですから、相手を呼びつけるのが常識ですね。
ですから、私の場合は、徳島の裁判所に訴状を出しても良かったわけです。
実際、裁判が始まった後、裁判官が私に言いました。
「徳島からわざわざ大変だけど、これね、徳島で裁判しても良かったんだよ」
で、私が契約書のことを言うと、
「あ、それね。あれは問題あるんだよね。引越し先で裁判起こしてもまず大丈夫」
とおっしゃっておりました。
まあ、実際に引越し先で裁判を起こすと大家側の弁護士がなんたらかんたらごねてくると思いますので(前述の裁判官のセリフのようにそれが認められる可能性は低いとしても)、そういう面倒なことはいやだなと思うなら、月一回の旅行気分で懐かしの地元を訪ねて友人達と一献傾ける楽しみに身を預けてみるのもいいかもしれません。

さて、私は熊本簡易裁判所へと出かけました。
徳島から熊本まで直通の飛行機はありませんので、まず目指すは福岡空港。一時間四〇分の道のりです。
三〇分の間違いじゃないかって?私が乗り込む飛行機は、このほど生産が中止されたYS11。電気マッサージ器のような細かな振動とプロペラの爆音に包まれ、ジェット機のはるか低空を福岡へと目指しました。
福岡からはJR九州が誇る特急「つばめ」で熊本へ。新幹線なんか足元にも及ばない洗練されたデザインの車内は何度乗っても快適です。
一時間十五分後、熊本に到着。まずはホテルにチェックイン。
「訴状の提出って、丸一日かかるの?」と思われた方、ご安心を。徳島福岡便は一日一往復なので、もう帰れないだけです。
その夜は朋友と食事を楽しんで、いよいよ翌日。
ホテルを出る前に、持ち物を確認しましょう。

訴状と証拠類の付属書類(三通)
印鑑
お金(印紙と切手を買わねば)
訴状の入ったフロッピー(念のため)
筆記用具

これだけ持っていることを確認して、裁判所へ到着。
徳島地方裁判所は、一階が地裁の受け付け、二階が簡裁の受け付け、ということで、階段を上って、簡裁事務受付という部屋に入ります。
部屋を見渡すと、小さい町役場という感じです。
ただ田舎の役場と違うのは、皆とても忙しそうに、書類やパソコンに向かっています。
受付専門という人はいないようです。
誰に声を掛けようかな、と少し逡巡していると、ダブルのスーツを着込んだひげ面のおっさんが入ってきて、結構大きな声で「@@だけど」と一言。
すると事務用の黒い腕袋をした(ね、田舎の役場みたいでしょう)若い職員が立ち上がり、
「あ、@@先生、何か」
と駆け寄ります。
うむ、このおっさんは弁護士であったか、お、バッジが光っている、弁護士ってのは裁判所でもいばってんだな・・・・・・などと、裁判所の雰囲気を楽しんでいる場合ではありません。私も声を掛けました。
「あの、訴状を出しに来たんですけど」
手前に座っていた職員が目を上げます。
「訴状?」
私を上から下まで眺めて、やおら後ろを向き、
「おーい、本人訴訟の提訴だって。ちょっとみてやって」
「やって」はないだろ、と思いつつも、ご機嫌を損ねるわけにはいきません。私は愛想笑いを浮かべつつ、奥からやってくる職員に一礼しました。
やってきた職員は、さっきの「やって」君と違って、物腰の柔らかい人で、やさしげな笑みまで浮かべていました。
訴状と付属書類を渡すと、
「えーと、本人訴訟と言うことですので、念のために書式なんかをちょっとチェックしますね。ここにかけてしばらくお待ち下さい」といって、自席に戻っていきました。 なんだかだんだん緊張してきたぞ。
カウンターの前に座り、周囲を見渡しつつも、ついつい視線は私の訴状をチェックしている職員の方へ向いてしまいます。
結構時間がかかります。
(あの人なら「こんな訴状駄目だよ」とか言ってバサリと突っ返したりしないよな) だんだん弱気になってきます。頭には、親権裁判中に会社をクビになって必死になって職探し中に面接の結果をハロウィンのパーティ真っ最中の会社の廊下で待っている「クレイマークレイマー」のダスティン・ホフマンの姿がなぜか浮かんできます(長い例えだ)。
二〇分ほど経ったでしょうか。
ようやく彼が戻ってきました。片手にシャーペンを持っています。
「えと、まずここのところですが、」と、「訴状の書き方・実践編」のところにも書いた、送達場所の明示を指示されます。このほか、目録の追加、証拠の番号の振り分け方(封筒と内容を別にするってあれね)など四件ほど修正してもらいました。
「じゃあ、書きなおしてすぐ又持ってきますので、待っててください」と私は言い残し、ダッシュで二ヶ月前まで通っていた会社へ。事情を話してパソコンを借り、フロッピーを突っ込んで修正します。プリントアウトしてコピーを作った時点で十一時を回っています。
正午には熊本駅へ向かわないと、たった一便の飛行機に間に合わなくなってしまうのです。
「頑張ってね」という会社の先輩や後輩に礼を言うまもなく裁判所に取って返し、息を切らせながらさっきの職員に再提出です。
「これでいいですね」
という声にほっとするのもつかの間、
「じゃあ、印鑑を押してください」
「え」
これがまた大変な作業でした。訴状の表紙はもちろん、ページとページの間にページを折り返して割り印を押します。訴状の上部の余白には捨印も。これを三部繰り返して、さらに、証拠を綴じ直し。
というのは、実は私、請求書などの証拠類をすべて左上をホッチキスでとめていたんです。ところが裁判所では、裁判官の書類フォルダーは「右綴じ」と決まっているそうで、右綴じに直すよう言われたのですね。
結局提出が終わったのが正午直前。
じりじりしている私に、笑みを絶やさない職員は
「じゃあ、このあと裁判官の方から修正などの指示がありましたらまた連絡しますから」とおっしゃり、訴状の受理が終わりました。

これからどうなるんだろう、などと考えるヒマもなく、私はタクシーの中で流れる汗を拭いておりました。

(続く)