5.ヤクザと仔猫、どっちが強い



それから更に月日が流れ、我が朋友の同居人久本は転勤し、私一人になってしまいました。
ところがどういう訳か、数ヵ月後には早くも次の同居人が現れたのです。

・・・結婚したんですね(^^;;。
結婚が人生にもたらす変革は大きいか小さいか、哲学の世界においては深遠な議論が続いていますが、私個人に限っていえば、それは劇的な変化でありました。
何がって、部屋の変化です。
男二人で暮らしていたときは、それぞれの部屋にあるのはベッドと布団、居間には学生生協で買った小さなテレビ、ごみ捨て場で拾ったベンチチェスト、台所にはこれも学生生協おなじみの冷凍庫のついていないワンドア冷蔵庫、以上。ってなもんでしたが、これが結婚初日、会社から帰宅すると・・・。
すっかり愛の部屋になっていたかって?

甘い。

玄関に立った私の見たものは、天井まで積み上げられたダンボールの山、山、山。峠の向こうにはソファと家具が熊本城の石垣のように鋭いカーブを描いてそそり立っていました。
数日間の睡眠不足の後、ようやく片付いた部屋は、ファンシーショップと化していました。
元々妻が雑貨売場でバイヤーをやっていたこともあって、小物置物類はそれこそ売るほど持っていたらしいのですが、それが趣味と一致しているときています。
男臭さは跡形も無く消え去り、ホームページの「私のお部屋紹介」みたいな状態になってしまいましたが、積もった埃で字がかけるということもなくなり、それどころか妙に足が滑るぞあのやろ油こぼしたなと思ったらワックスがかかっていたという、今までに無い快適な暮らしがスタートしたのでした。
それに、引っ越す必要の無い私と違い、妻は住みなれた土地を離れて知らない人間ばかりの新しい街に越してきたわけですから、どうしても不安でしょう。
せめて部屋くらいは昔のままでいいよな、と思いました。
ところがまもなく、彼女は洒落にならないくらいの不安に直面したのでした。

妻が買い物から帰ると、隣室の玄関ドアに何やらベタベタ貼ってあります。
見るのは失礼といったって、並びのドアにマジックで書いたB4の紙が貼ってあるわけですから、目に入らないわけがありません。
それらは、
「裁判所からの呼び出し状」が届いていることを知らせるものであったり、弁護士からの連絡票であったり、はたまた「子どもを返して」と書きなぐったものであったりしました。
「何者だ隣は」と妻に聞くと、妻もよく分かりませんが、どう中年の男が二人ですんでいるようだということです。

さて、それらの張り紙攻勢が数ヵ月続くと、今度はサングラスにポマードべったりオールバック、黒に白の縦縞が入ったダブルのスーツにエナメルの靴、赤いシャツに金のチェーンといった、「ほんとに今でもこんなんいるのかよ」といった連中がマンションをうろつき始めました。私が目撃したときはマンションの玄関前にベンツだかなんだかを乗り付け、上記の格好を男が数人、手には携帯を握っておりました。
最初は彼らの目的がなんだか分からなかったのですが、彼らはだんだんマンションの中まで入り込むようになり、ある時妻が買い物袋を片手に帰宅すると、数人の男たちが玄関前を占拠していたのです。
いや、正確には隣室の玄関前です。
前述のように二つの部屋の玄関ドアは50センチほどの間隔で隣り合っていますから、連中のたむろしている前を通らなければ部屋には戻れません。
妻は意を決してその前を通って無事帰宅しましたが、触られこそしなかったものの、かなり卑猥な言葉を浴びせられたと怒っていました。
その後私も隣室の玄関前に数人の男がたむろしているところを帰宅したことがあります。
こちらにははっきりとは関心を示さないものの、人が通るたびに携帯でどこかへ連絡を取っていました。

それだけではありません。
私が休日で二人揃って部屋にいた時です。
玄関のチャイムが鳴り、どんどんと戸を叩く音までします。
出てみるとそこには黒い手帳を差し出した屈強な男が立っていました。
ラフに絞めたネクタイと麻のジャケットという軽装のその男は、さらに名刺を見せました。
「熊本県警察本部暴力団対策課」
私が名刺と刑事の顔を見比べていると、口を開きました。
「すみませんがお隣さんのことで聞きたいんですが・・・」
刑事の話では、隣の男は暴力団関係者であり、ある事件に関係している疑いがあるので聞き込みをしているとのことでした。
隣の男のことならこっちが聞きたいくらいで、知っていることといえばヤクザがマンションを出入りして迷惑しているくらいのことですよ、と言うと、刑事はマンションの管理人の住所と電話番号を控えて帰っていきました。
妻には、「一人で部屋にいるときは必ずチェーンをかけておくように。何かあったらすぐに連絡するように」等々声をかけておきましたが、彼女の不安は手に取るようにわかります。

「猫を飼いたい」と妻が言い出したとき、わたしは駄目だとは言いませんでした。

(続く)